僕とファッション(メンズファッションに目覚めた、15歳~現37歳までの私の履歴書)

私の中にファッションの感覚が目覚めたのは、記憶が確かならば、中学3年生の時です。
同級生のファッションを見て、カッコイイと思い、影響を受けて、そのファッションを真似しました。
キャスケットをかぶり、白のダブルカフスシャツ、メッシュのTシャツ、
ストライプのベルボトム、チョーカー(犬の首輪みたいなやつ)をつけて、
ファッションをコーディネートしておりました。
このファッションが私とファッションの歴史のはじまりでした。

その後高校に進学し、高校1年生までは、スケボーにはまっておりました。
ファッションは、勿論ストリート系で、今となっては、とても恥ずかしい
腰パンで半分おしりが出た状態で、地元の友達とスケボーをやって遊んでおりました。

その他、古着にも目覚めた時期でして、ラルフローレンやラコステのポロシャツ、
リーバイスのジーンズを購入したりもしておりました。
リーバイスの赤耳のデニムに憧れておりましたが、金額が高く、手を出せなかった思い出が御座います。

そして、友人と、とあるデパートに行き、ナイキブームがくる前に
ナイキのジャンバー等が、格安で売られているのを発見しました。
1着、ブラックカラーのナイキのジャンバーを6千円程で購入し、
沢山着た後に、渋谷のフリーマーケットでナイキブームの時に、
購入金額と同じ6千円で売り抜けて、大喜びした記憶が御座います。
この当時、渋谷の明治通りを友人と歩いていたのですが、
BOONと言う雑誌のカメラマンに声をかけられ、
友人は、写真を撮られましたが、私は友人の写真が美しく写る為の、光を反射させる
写真機材をもたされて、アシスタントをさせられた記憶が御座います。

高校2年生の前半は、GAPやトミーフィルフィガーや、ノーティカや、エディーバウアー等に、
親戚から譲りうけました、レッドウィングのブーツを合わせて、コーディネートしておりました。

高校2年生の後半は、ダンスブームで、黒人さん達がショップを構えている、原宿に
良く、お買い物に行きました。
ファッションのジャンルは、HIP HOPで御座います。
しかし黒人さん達が着る、とても大きなサイズのファッションがメインだった為、
洋服を着ていると言うよりは、洋服に着られているといった感じでした(まさしく漫画です)。

そして、このHIPHOPファッションに人気が殺到していた時に、
当時の私のいでたちは、髪の毛を染めて、洋服は、HIPHOPファッションの頂点にあった、カールカナイと言うブランドの
トレーナーを着用しておりました。
とある日、友人と、明治通りを歩いていたのですが、
その時に、怖いお兄さん達に絡まれて、路地裏に連れていかれて、
カールカナイのトレーナーを奪われて、
冬の寒空の中、Tシャツ1枚で、自宅まで、帰った記憶が御座います。

そして、高校3年生の時、巷では、東京ストリートニュースと言う、色々な高校の
かっこいい・かわいい人たちが、写真を撮られて、雑誌に載るのがブームになっておりました。
今、考えれば、いかれたブームだったのですが、その高校生達は何と
ロレックスやオメガやカルティエやティファニーやグッチ等のブランド品を身に纏って
街中を行脚していたのです。
私もグッチのセーターやパンツを購入し、日焼けサロンで日焼けして、
ストリートニュースの影響を思いっきり受けてしまっていたのでした。

そして受験が終わり、大学に入学すると同時に、ルイヴィトンのモノグラムラインの
リポーターと言うバッグを購入しました。
そのバッグに合わせていたのは、何と、真っ青のプーマのジャージで御座います。
髪型は、ロン毛にメッシュ。
今では、絶対にやる事ない、勘違いちゃんのファッションをしておりました。
これもまた、青春の一ページなのですが(お恥ずかしい)。

そして大学時代は、友人と一緒に、丸井やパルコや高島屋等のデパート系でお買い物をして
自分のファッションをコーディネートしておりました。
その、お買い物の中で、一番記憶に残っているのは、
「ファイトクラブ」と言う映画を観たのですが、
その映画の中でブラッドピッドが赤い、レザーのジャケットを羽織っておりました。
その影響を受けて、コムサデモードで、定価8万円する、
ワインレッドのレザージャケットを清水買いした記憶が御座います。
そのアイテムは、今は大分色があせてしまいましたが、大事に眠っております。

それから、社会人になってからは、たまに、
トゥモローランドやポールスミスのスーツを購入しておりましたが
格別、スーツにこだわりがあるわけでも無く、貯金をしておりました。
後は、スーツはスーツカンパニーがメインでした。
私服は、ほとんど、海浜幕張や横浜ベイサイドマリーナへ行き、
ユナイテッドアローズ等のアウトレットのアイテムを購入致しておりました。

そして、私が真剣にファッションに向き合いはじめたのが、丁度29歳の頃です。
最初は、リサイクルショップで販売と仕入れのアルバイトをしておりまして、
それと平行して、ファッションの基礎を学ぶ為に、6ヶ月間の短期ファッション学校へ通いました。
この6ヶ月の間は、アルバイトと学校で、休む間もなく、走り続けておりました。

ファッションの学校に通っている時は、自分のオシャレを磨く為に、
毎日ファッションコーディネートを変えていくと(デザイン性の高いアイテムで)、心に決めておりました。
この学校の同期には、ファッションのデザイナーさんや、
販売やバイヤーの経験がある方々がおりまして、
私のコーディネートに関しましては、厳しい声も、お褒めの言葉も両方頂きました。

そして学校卒業と同時に、当時ヤフオクのベストストアであった、
リサイクル企業へ入社をし、ファッションブランド品の買取業務の基礎から実務まで
約2年間程、経験をしながら、休日は、コメ兵等のリサイクルショップに足を運んで、
自分の好きな洋服を買い集める日々を繰り返しておりました。
まさしく、遊びも仕事・仕事も遊びの生活でした。

そして上記企業を退職後、個人事業主になり約2年の間、
ファッション関連の中古品を仕入れては、販売をしておりました。
最初は、リサイクルショップを行脚して、通称「せどり」を行っておりました。
お小遣いぐらいは稼げましたが、良い商材を私が買い続けてしまうと
他のお客様が、掘り出し物に出会うチャンスを奪ってしまうと考え、
お店にとって邪魔な存在であると悟りましたので、
仕入れ場を、国から正式に認可されている、古物市場へと移したのです。

そして、ヤフオク上にショップを開設しました。

ヤフオク上で、販売を行い、古物市場で仕入れを行って、
バイイングのスキルを高めておりました。

一番最後の方に行った仕入れと販売額は以下の通りで御座います。
仕入れ額55万程で、販売額105万程でした(粗利益40%以上御座いました)。
仕入れは全て自分の感覚で仕入れて、販売は自分のセンスと統計を駆使して
行っておりました。

1円オークションは、ほとんどやっておりません。ほとんど全て指値で御座います。
1円オークションで、落札率が高いのはあたり前ですから
(1円で売れないアイテム等ほとんどありませんよね)。

自分自身の落札率を統計で調べました所、最後の仕入れの良い時には
落札率80%前後御座いました。
落札率とは、一週間で、あるブランドが何点出品されて、
何点落札されたかを調べる指標で御座います。
例えば、コムデギャルソンの落札率は16%~18%程です。
コムデギャルソンの場合、一週間に100点出品されて、16点から18点落札されていく
と言う事になります。

しかし、諸事情と、年々古物市場に出てくるアイテムの質が悪くなっており
将来の見通しは暗いと考え
(私もそう感じてましたし、市場に来ていたバイヤーもそう言っておりました)
一旦、仕入れを中止して、在庫を売却しながら、
ファッションビジネス等の新しい事業計画(アイデア出し)・
ファッションの知識の棚上げ
(繊研新聞を読んだり、評判の良いファッションに関する書籍を買い漁り、
片っ端から読んで参りました。そして自分の中にファッションの論理に関する
部分の肉付けを行いました。)
・私服で着る為のファッションアイテムの収集・
経営の勉強を行い、約2年間の間、事業の新しい見通しを立てておりました。
そして無料で社会貢献を兼ねて、自腹をきってジャケパンコーディネートの構築(約3か月間←今ここです)

ファッションはセンス(つまり綺麗なシルエットだ!とか、素敵な花柄だ!とか)、
このアイテムとこのアイテムを合わせると合うとか)と
論理(紹介させて頂いております、厳選書籍の中の最速でオシャレになる方法・私服の教科書等をお読みください)と統計。
3点とも欠けてはならない両輪の輪で御座います。
3点が組み合わさって、最大限の力を発揮するものであると確信を持ちました。

そして自分のライフワークである、「ファッション」を、
残り30年間ぐらいの人生の中で、どうやって確立していくのか、
筋道がようやく見えたのです。

不思議なもので、誰かの影響があったわけでもなく、何かに導かれる様に、
「ファッションバイヤー」を目指している僕が、今ここに居るのです。

このブログでは、僕が歩んできた、ファッションの歴史の中で、
様々な気づきや、どうやってファッション世界を目指していくのか、
試行錯誤した中から、皆様方の、お役に立ちそうな、情報を発信していきます。

ファッションの世界を目指している方々達の指南になれば幸いであると
願っております。

長文失礼致しました。



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